クラシックとジャズと(その1)
2005年 03月 01日
ダーハさんのところと、Thunderさんのところに、勝手にトラックバックさせていただきました。
先日録画して見た、須川さんの出演番組。
みなさん、ごらんになりましたか?…って、そんな、みなさん、暇じゃないって!(笑)
ともかく私は、アマチュア門下生の発表会以外の場(=つまりお仕事の場)での、須川さんの演奏を、久しぶりに聞くことができました。
最終3日目に、トルヴェール・カルテット(サックス四重奏)として演奏されたのは、
My favorite things(トルヴェール用アレンジ済み)と、ホルストの「惑星」を元に同じく
トルヴェール用に編曲された、「トルヴェールの惑星」より、「木星(抜粋)」と「地球」。
(実は家事をしながら聞いたので、少しあいまい。間違ってたらごめんなさい)
合間に、司会の服部真湖さんとのトークあり、アドリブ合戦あり、というお楽しみ番組でした。
須川さんはいちおう、クラシックの奏者、ということになっていますが。
最終日を聞いての感想。
「アルルの女」(うわ、また出た~・笑)以外は、クラシックじゃない。
…別に、否定的な意味じゃなくて、文字通りの意味です。
つまり、曲目が純粋なクラシックではなかったし、クラシックの形式では吹いてなかった。
かなり現代的な音楽の捉え方をしていて、吹き方もそれに呼応してる。
舞台での並びは、4人が客席に向かって半円に並ぶ、クラシックの四重奏風ではなかった。
客席に向かって全員が直線的に座ったところはむしろ、私にビッグバンドを思い出させました。…多分、そういうことだと思います。
だから、本当にそうするかは分からないけれど、G線上のアリアとか、アヴェヴェルム・コルプスを、私だったら(そんなこと書くのもおこがましいですが)あの並びでは吹けないと思います。
音のふくらみというか、響きあう空間が必要だから。
あくまで私の感覚ですが、ビッグバンドの曲をやる時、隣の人と向きが違っていたり、離れて
いたりするのは、ものすごく吹きにくいんですね。なにか、音の向きがそろって束ねられて、
同じ方向に風が叩きつけられないと、アンサンブルできない気がするんです。
ビッグバンドでアンサンブルして、端的にクラシックと違うと思ったのは、
「休符も音符だ」ということ。
音を出してる時と同じくらい、音を出さない時間との境目についても神経を使いました。
クラシックやってると、ジャズってリズムがスイングしてるし、自由に吹けばいいんだから
「ちょっとだらしなく吹けば、ちょうどいい」ような気がしていたんですけど、実際はその逆。
クラシックやってた時の何倍も、発音の瞬間、音の伸ばし方、音を切る瞬間、音程、などに
気を使う必要があると感じました。
いわゆる縦の線=拍は、絶対に外せない。
今はどうか分かりませんが、昔クラシックの吹奏楽団などでよく聴いた、いわゆるポップスの演奏のされ方は…メロディが勝手にリズムを揺らして気分よく吹いて、ベースや刻み、パーカッションがそれに引きずられて、バンド全体の拍が酔っ払ってしまってる。
…逆なんです。
一番大事なのは、リズムとベースの拍がきちっとしていて、かつ全体を把握していること。
メロディはあくまでその上に乗っかって、揺れてるだけなんですね。
スイングしてると確かに、例えばカウント・ベイシー楽団なんか、クラシック的に言えば、
メロディラインのリズムのゆらぎは、リズムセクションが刻む拍と一見、全くずれてるんだけど、
そのずれ方は「セクションごとに」ぴったり、まとまってる。
一糸乱れぬ見事なアンサンブルになっていて、全員がリズムセクションを厳しく聴いて、
セクションごとにタイミングを合わせているのが、一目瞭然なんです。
そして、そのタイミングのずらし方=スイングできてるか否か、になるわけなんだけど。
…偉そうに書いてますが、要はビッグバンドに入って衝撃を受けたことの1つ、だったんです。
生意気な、と思われた方、お許しくださいね。
長くなっちゃったけど、そういうわけで、今回のトルヴェール、もしジャンルはなにかと
聞かれたら、「純粋な」クラシック、と言うのはちょっと、という気がしました。
さて、その演奏を聴いて思ったこと。
…もしできたら、学生時代、私も私なりに、ああいう風なサックスを吹きたかったな…。
「私なりに」というところ、最大限に意味を汲んでくださいね。
まじめな皆さんと比べたら、お話にならないくらい、下手なんだから(笑)
…この話題、かなり長くなりそうなので、勝手にシリーズ物にさせていただきます(笑)
先日録画して見た、須川さんの出演番組。
みなさん、ごらんになりましたか?…って、そんな、みなさん、暇じゃないって!(笑)
ともかく私は、アマチュア門下生の発表会以外の場(=つまりお仕事の場)での、須川さんの演奏を、久しぶりに聞くことができました。
最終3日目に、トルヴェール・カルテット(サックス四重奏)として演奏されたのは、
My favorite things(トルヴェール用アレンジ済み)と、ホルストの「惑星」を元に同じく
トルヴェール用に編曲された、「トルヴェールの惑星」より、「木星(抜粋)」と「地球」。
(実は家事をしながら聞いたので、少しあいまい。間違ってたらごめんなさい)
合間に、司会の服部真湖さんとのトークあり、アドリブ合戦あり、というお楽しみ番組でした。
須川さんはいちおう、クラシックの奏者、ということになっていますが。
最終日を聞いての感想。
「アルルの女」(うわ、また出た~・笑)以外は、クラシックじゃない。
…別に、否定的な意味じゃなくて、文字通りの意味です。
つまり、曲目が純粋なクラシックではなかったし、クラシックの形式では吹いてなかった。
かなり現代的な音楽の捉え方をしていて、吹き方もそれに呼応してる。
舞台での並びは、4人が客席に向かって半円に並ぶ、クラシックの四重奏風ではなかった。
客席に向かって全員が直線的に座ったところはむしろ、私にビッグバンドを思い出させました。…多分、そういうことだと思います。
だから、本当にそうするかは分からないけれど、G線上のアリアとか、アヴェヴェルム・コルプスを、私だったら(そんなこと書くのもおこがましいですが)あの並びでは吹けないと思います。
音のふくらみというか、響きあう空間が必要だから。
あくまで私の感覚ですが、ビッグバンドの曲をやる時、隣の人と向きが違っていたり、離れて
いたりするのは、ものすごく吹きにくいんですね。なにか、音の向きがそろって束ねられて、
同じ方向に風が叩きつけられないと、アンサンブルできない気がするんです。
ビッグバンドでアンサンブルして、端的にクラシックと違うと思ったのは、
「休符も音符だ」ということ。
音を出してる時と同じくらい、音を出さない時間との境目についても神経を使いました。
クラシックやってると、ジャズってリズムがスイングしてるし、自由に吹けばいいんだから
「ちょっとだらしなく吹けば、ちょうどいい」ような気がしていたんですけど、実際はその逆。
クラシックやってた時の何倍も、発音の瞬間、音の伸ばし方、音を切る瞬間、音程、などに
気を使う必要があると感じました。
いわゆる縦の線=拍は、絶対に外せない。
今はどうか分かりませんが、昔クラシックの吹奏楽団などでよく聴いた、いわゆるポップスの演奏のされ方は…メロディが勝手にリズムを揺らして気分よく吹いて、ベースや刻み、パーカッションがそれに引きずられて、バンド全体の拍が酔っ払ってしまってる。
…逆なんです。
一番大事なのは、リズムとベースの拍がきちっとしていて、かつ全体を把握していること。
メロディはあくまでその上に乗っかって、揺れてるだけなんですね。
スイングしてると確かに、例えばカウント・ベイシー楽団なんか、クラシック的に言えば、
メロディラインのリズムのゆらぎは、リズムセクションが刻む拍と一見、全くずれてるんだけど、
そのずれ方は「セクションごとに」ぴったり、まとまってる。
一糸乱れぬ見事なアンサンブルになっていて、全員がリズムセクションを厳しく聴いて、
セクションごとにタイミングを合わせているのが、一目瞭然なんです。
そして、そのタイミングのずらし方=スイングできてるか否か、になるわけなんだけど。
…偉そうに書いてますが、要はビッグバンドに入って衝撃を受けたことの1つ、だったんです。
生意気な、と思われた方、お許しくださいね。
長くなっちゃったけど、そういうわけで、今回のトルヴェール、もしジャンルはなにかと
聞かれたら、「純粋な」クラシック、と言うのはちょっと、という気がしました。
さて、その演奏を聴いて思ったこと。
…もしできたら、学生時代、私も私なりに、ああいう風なサックスを吹きたかったな…。
「私なりに」というところ、最大限に意味を汲んでくださいね。
まじめな皆さんと比べたら、お話にならないくらい、下手なんだから(笑)
…この話題、かなり長くなりそうなので、勝手にシリーズ物にさせていただきます(笑)
by Caroline-h
| 2005-03-01 23:56
| 音楽